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      120年前の日本人は怠惰だった?

 

前回は「私たちと働いているタイの人々の大半はタイの歴史始まって以来、初めて企業で働く世代であるから、発想や考え方が私たちと異なるのは仕方がない。」との内容でした。それでは工業化に突入した時代の私たち日本人はどうのようだったのでしょうか。今でこそ世界中に「勤勉な国民」との評価を得るほどになりましたが、最初に企業で働く世代の人々はどのようだったのでしょうか。

明治初期、日本は欧米の先進国に産業的に追いつくべく「お雇い外国人」として欧米から技術者を招聘して各種の技術を習得しました。その「お雇い外国人」の一人であったイギリス人の灯台技師、ブラントンの手記の日本語訳が出版されています。これを読むと当時の日本人の仕事に対する意欲があまりに低かったことに驚かされます。

「彼らは給与が得れる仕事に就くことは大変熱心であったが、その仕事に要求される厳格な内容に関してはまるで無関心であった。これは上級の役人も見られた現象である。彼らは業務に必要な規律が守られてなくてもまるで気にせず、この罰則すら履行しなかった。たまりかねて役人に苦情を述べると役人は彼らをかばい、言い訳をするのであった。また作業員は当直時に居眠りをしたり、職場を乱雑にしたり、飲酒をしたりすることもあり、これは日本人の灯台員に常に見られる職務怠慢の姿であった。ある灯台員が当直の時に灯火監視を怠り、職場を離れていたことを注意すると、「自宅から注意深く見ていた」といい加減な言い訳をするのであった」

またブラントンは37人を採用するため100人に試験を行ったところ、信頼して採用できるのはわずか9人しかいなかったと嘆いてもいます。今でこそ「日本人は勤勉である」との評価は世界的に確立しており、このような話を聞いても笑い話のようにしか思われませんが、日本といえどもわずか120年程度前はこのような現状だったのです。

発展途上国で私たちが一緒に働いてる人々も「歴史上初めて企業で働く世代の人々」ですから、これほどではないにしろ同様の問題が起きることはやむを得ない部分もあります。しかし企業として利益を追求して行く中で、これらの問題を認め「では120年ほど待ちましょう。」と言うわけにはいきません。「歴史的背景が異なるのだから最初は考え方が異なるのはやむを得ないとしても、早く会社の方針に沿った考え方になるように管理していかなくてはいけない。」との発想を持ち、日々の管理を通じて少しづつでも良い方向に持っていくようにしなくてはいけません。この管理手法は国ごと、企業ごとに多少異なっている部分もありますが、上手に管理を行い短期間で成功し多くの利益を上げている企業はタイのローカル企業を含めたくさんあります。この管理手法は「管理職への意識付け」から始まり「生産」「品質」「安全」「納期管理」「社員への教育」など多伎に渡りますが、皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。